「今日は九月二十六日。明日は学園祭の日。明後日はファイアストームの日」ー『イリヤの空、UFOの夏』補完その2

□浅羽についてー主人公たる資格とは

前回の続きです

○特別を持たない主人公
 主人公の浅羽直之は、伊里野とは対照的に、ほとんど正体がわからない。
 ここでいう正体とは、物語における強烈なキャラクター性を意味する。

 浅羽って、どんな奴?

 そう聞かれたら、読者はなんと説明するだろう。戦闘が強い、メンタルが強い、特殊な力がある、勇敢、仲間がいっぱい、実は王族の血を引く、面白い、優しい、モテる、カッコいい、運動神経抜群、部活の強豪校の選手、つらい過去を持っている――。

 いかがだろうか。このうち当てはまりそうなのは優しいくらいだと私は思うが、いわゆる主人公に当てはまる資質を浅羽はどれだけそなえていると言えるだろうか。
 浅羽の長所として文中で描かれているのは、散髪が上手い、優しい、たまに根性がある、そこそこ気が付く。このくらいだと思う。
 こうしたことから思うのは、何故、主人公が浅羽で、何故、こんな平凡なのだろうか。少しこれを考えてみたい。


○過去についてほとんど語られない
 こうしたヤング向けの小説の場合、主人公の過去や主人公の周辺の過去が物語に大きく関与することも多い。また、両親が何故かほとんど物語に出現せず、大人が排除された世界で、若いキャラが動き回ることが多い。
 しかしこの作品の場合、浅羽の両親は普通に出るし、浅羽の幼馴染はいないし、親友的なポジションも、あんまり本筋の話にはかかわってこない。
 その代わりとなったものを探す方が早いだろう。誰か。
 水前寺がいる。
 水前寺に関しては、実は次回で取り上げたいので、今回はあまり触れないが、もしライトノベル的主人公たる資質を持っているのは誰かと問われれば、水前寺となると思う。
 話を浅羽に戻そう。
 浅羽の過去がわかりそうなのは、妹の夕子を通じて。デリカシーのない兄としての浅羽像が浮かぶが、兄としての優しさも同時に浮かぶ。しかしそれではまだ伊里野とつり合いが取れているようには見えない。
 もう一つは、晶穂の回想。清美と晶穂へ暴言を吐く河口に浅羽が物申すという場面。ここでは勇気ある浅羽が登場している。
 しかし、実はここでもっと重要だと思われる、この作品の根幹ともいうべき描写がなされている。

ーなあ、さっきのあいつ誰だ? あんな奴うちのクラスにいたっけ?

 浅羽は新学年でクラス替えが為されたとはいえ、ほとんど周囲に知られていない。そして、さらに重要なのが、つぎの発言。

ーほら例の、新聞部の水前寺さんとかって人いるでしょ? あの人の後ろにいつもくっついて歩いてる……

 つまり、周囲にとって浅羽は水前寺の金魚の糞程度の認識しかされていない。なので、だれかが浅羽の過去について語ることはまず不可能である。
 その辺の、掃けば捨てるほどいる一介の中学二年生なのだ。
 もしそうなら、一時期流行しかけた「実は隠れた能力があって、力に目覚めた主人公はクラス内での立場がガラッと変わる」的なサクセスストーリーにぴったりな主人公だろう。
 しかし、そんな展開にもならない。
 むしろ、特別じゃない一介の中学二年生だからこそ、話が進展していく。


○誰にとっての特別なのか
 これに尽きる。
 少なくとも、ライトノベル史に燦然と輝く主人公像ではない。しかし、読者はあまり浅羽を主人公失格だとは思わないだろう。(まあ、4巻で嫌いになる人がいるのはわからないでもないけど)
 何も与えられていないからこそ、自分のできる範囲で、最良の行為を(考えなしにしても)行う。そこに親近感がわくし、なにか懐かしい香りもする。
 特別であるのは、伊里野に対してだけでいい。この辺は、秋山瑞人が物語をわかりやすくするためにそうしたのだろう。
 そのかわり、徹底して浅羽には見える事柄しか見せてこない。浅羽以外にもそうしているが、浅羽が知らないということが最終巻のあの話に通じてくるため、やはり計算しつくされている。
 4巻最初のほうで、秘密基地という言葉があった。
 誰しも少年時代に友人と作ったことがあるのではないだろうか。浅羽と伊里野の関係はまさしくそんな関係でつながっている。思春期特有の、自分は誰なのかという曖昧さ。だけれど、誰も知らない自分があってほしいと思う感情。

 それを特に何も持たない浅羽を用いて、伊里野といういわば幻想に近い存在で、関係性という観点から描いている。こっそりとした共通の秘密が、秘密基地という言葉の魅力。スタンドバイミー的郷愁と逃避行というロマンスは古い映画を想起させる。
 まあしかし、やり方を一歩間違うと単なる中二病ではあるが……。
 その中で描かれる無力感、挫折。しかし、それは浅羽のせいではない。周りの大人だって、どうすることも出来なかったのだから。
 伊里野にとって、浅羽が特別であればよかったということ。それが一番大事なことなのである。

 

ちょっと短いですが、ここで浅羽編は一時終わりです。
次は水前寺について。ここで、再び浅羽のあの論点に触れたいと思います。