「今日は九月二十六日。明日は学園祭の日。明後日はファイアストームの日」ー『イリヤの空、UFOの夏』補完その1

 今度こそネタバレを書こう。
 そう思っていた自分の中ではすでに幾星霜も過ぎたような感がある。気が付けば暦の上では3ヵ月が経過していて、セミの声もどこへ消えたか、いつしか夏も終わっていた。
 しかし、何かやり残したことがある。そんな気がしていた。そして気が付いた。そう、ブログを放置していた。
 まあ、別にいいか。そう思う。
 でも、こうも思う。
 終わる、ではだめだ。きちんと自分の手で幕を引こう。
 後者の思いが強くなって、書き始めてみた。「おくれてる」というセリフが、私に発破をかけてくるようにおもえてならない。
 なるほど。こういうことを彼は言っていたのだろうか。
 水前寺部長によかったマークだ。
 でも、だけど、
 おくれたってかまわない。今は、そう確信している。
 きっと、見ようとしなければ見えてこないものもあるとおもうから。
 


 恥ずかしいのはやめてちゃんと書きます。

 

 
 『イリヤの空、UFOの夏』については、デラべっぴんな評論やレヴューが多数あるので、じゃあ自分は何を書こうと悩んでいた、という言い訳が実はあるのです。しょうもない。
 結論から言ってしまえば、タイトルそのまま考えてみることにしました。つまり、『イリヤの空』『UFOの夏』が意味するところを自分なりに考えたつもりです。

 長いので、長文必死だなという人はブラバよろしくです。空白の後、始めます。

 

 

 

 

□『イリヤの空』- 伊里野とはなんだったのか

 

○別名「UFO綾波」、つまり、そういうことです。
 この作品のヒロインである伊里野加奈は、世界を救う能力を持つ、5人いた子供のうち唯一生き残っている少女。榎本や椎名たち、軍の「ロズウェル計画」の実行役であり、その作戦の一部である「子犬作戦」のターゲットでもある。
 これらの作戦や軍組織について、詳細は小説を読んでもらえば理解いただけると思うので割愛。

 

○伊里野加奈の特徴?
 性格的には真面目。ちゃんと学校のスク水を着用してキャップまでかぶる。字もきれい。定期毎の、軍への連絡は怠らない。校則どおり日曜日でも制服を着て浅羽とデート。なんていい子なんだ。
 年齢は、実は浅羽の一つ上。水前寺と同じ年ということになる。
 容姿。かわいい。
 人付き合いは苦手。「あっちいけ」
 頭もいい。勉強もちゃんとする。努力家。水前寺の言った原チャリの盗み方を翌日にはマスターしている。
 突拍子もないことをやりそうな神秘性。ラブレターに入部届。「浅羽がいるから」
 猫好き? 好き。

 

○小説内での描かれ方
 作品内での出来事などから、「イリヤの空」を考えてみよう。
 まず、イリヤはプールに行ったことがない。だから、泳げない。詳細は『グラウンド・ゼロ』にあるのでそちらを参照されたし。

 

 ・第三種接近遭遇。
 8月31日、イリヤの中では存在しているエリカにそそのかされ、園原中のプールに侵入。そこで、浅羽が泳ぎ方を教えてくれた。溺れそうになったのを助けてくれた。
 浅羽のことが、好きになった。
 至極単純、かつ、好感の持てる理由です。
 
 ・ラブレター
 伊里野の色々な面が見えてくる。
 周囲に溶け込めない。「みんな、死んじゃえばよかったのに」という発言。シェルターでの発作。浅羽がいるから。これ、告白してるよなあ。
 秋山瑞人自身の言った「難病もの」がまさにしっくりくる。入部届は読後、もう一度読み直すと、遺言状のようにも思える。

 

 ・正しい原チャリの盗み方。
 滅茶苦茶嬉しかったのだろう。10時集合にもかかわらず、5時50分から待ち合わせ場所で待ってる。浅羽と一緒に映画を見る。眠くても見る。
 この時点では、浅羽を巻き込みたくないという気持ちが強い。浅羽の、基地の仕事を手伝えないかという問いに、ぜったいだめと返した。
 尾行に気づく。逃走成功。やっぱり優秀だよ。
 公園。昔の話。誰にも内緒の話。浅羽に独白。「わたしたちはみんないらない子なんだ」という言葉。伊里野にも「誰かに必要とされること」が必要なのだ。
 学校で髪を切ってもらう。読後もう一度読み直してみると、結構な勇気を振り絞ったものだと思われる。

 

 ・十八時四十七分三十二秒。
 この話はあまり伊里野自体は表に出てこない。しかし存在感は凄い。ラストは圧巻。この構想が立って、イリヤを書き始めたらしい。
 旭日祭の11日前。軍が緊張状態。部室にセミが侵入。翌日、早退後、また学校に戻り浅羽と部室で会う。浅羽と一緒に何かしたいという気持ちが強い。ただ何も知らないから真似るしか出来ないとも言える。

 セミの死骸を見て、季節の終りを予感したのか、泣く。その後墓を作って帰る。
 榎本の前では「浅羽とガクエンサイをする」とか、嬉しそうに話したらしい。学園祭に行けない伊里野の失望は大きかったことがよくわかる。
 9月28日。ファイアストームの日。伊里野は前日同様学校に来られない。
 しかし、六番山へ浅羽を呼び出す。二人で踊る。真っ赤な顔して、不器用に踊っているという浅羽の予想はおそらく正しい。

 

 ・無銭飲食列伝。
 伊里野は秋穂が怖かった。でも負けるもんか、と勇気を振り絞った。それまでの他人に無頓着気味だった伊里野が、生命力あふれる行動をとった。必死になって「自分の居場所・理由」を守った。伊里野も大きく変化したことがうかがえる。

 しかし、伊里野は嘘が苦手っぽい。自分のであれ、他人のであれ、嘘には拒否反応を強く示す。無理をするのもそういうところから来てるのかもしれない。
 この時点で、「子犬計画」は概ね完成していたとみることが出来そうだ。

 

 ・水前寺応答せよ。
 約束を守らなかった伊里野を榎本がぶん殴って連れていく。当初の性格から成長し、一般社会に馴染みつつあった伊里野だったのに、このとき第一次破壊がなされ大変なことに。外見の大きな変化が発生。白い髪となったのは相当なショックと投薬の表れだろう。
 再び、他の人を頼ることが出来そうにないと悟ったのかもしれない。浅羽を巻き込まないような態度をとって別れる。
 症状が進行し始める。目が見えなくなる。浅羽に心配をかけたくないのか、それとも自分でもそれを認めたくないのか、必死に「見える」を連呼。きっと両方。発作が起こる。浅羽袋がばれる。自分のことで浅羽を殴る椎名を威嚇。「子犬作戦」はもう完成しているのだろう。
 夜。伊里野は部室で浅羽と会う。お守り(浅羽袋)について、本心を告げる。生きていたいという気持ちと、守らなければならないものとを秤にかけて、それでも生きたい気持ちが強くなってきていた。
 ここで初めて、伊里野自身の意思で、本当に浅羽を頼る。真似事ではなく、セカイ系とくくられることになる「君と僕」の関係が成立。ただし、それは「子犬作戦」からの逸脱であることを意味する。榎本的には別にそれでもよかったことを二人は知らない。

 

 ・夏休み再び。
 髪を切って、ついでに憑き物も落としたのか、明るい伊里野。浅羽に怒ってみたり、小馬鹿にしてみたり、猫飼ったり、幸福な日々を過ごす。嵐の前の静けさ。
 吉野とのシーン。自分は「なにもされてない」派。だって嘘つけないもん伊里野。
 必死に告げる。しかし浅羽の本心がわからない。警察登場。校長の件で浅羽にちょっと反抗。
 待っていた駅の側で待つ。口も利かない浅羽に呆然と立ちすくむ。泣きそうになりながら後を追いかける。「どうして、なぜ」を口にする勇気も出ない伊里野。冷たくされていきついた答え。
 「なんにもされてない」
 そして、浅羽の返事。伊里野は破壊された。内的な意味での第二次破壊が行われる。
 記憶退行が発生し始める。伊里野の中で、エリカ同様「浅羽」も加わった、ということなのだろう。ただし、エリカの場合は記憶改ざん、浅羽は記憶退行なので、まだ幾分かはましではあるが。

 

 ・最後の道
 退行していく中、浅羽にエリカのことを話す。海で、ついに、初めに行き当たる。
 「好きな人が、できたから」
 その後、気を失う。

 このときの伊里野を考えるととても悲しい。

 

 ・南の島
 投薬の成果もあってか、一応正気に戻る。記憶退行期間のことは覚えていない。
 浅羽の気持ちを知りたい。なんで、自分を、置いて行ったのか。伊里野は「浅羽」がいなかったと思い、浅羽は「伊里野」はもうそこにいなかったのだ、と思っている。すれ違い。
 浅羽の気持ちを聞く。それで十分。好きな人のため、伊里野は空に帰っていく。
 


○伊里野の気持ち、ほか
 こうしてみてみると、浅羽に対する伊里野の気持ちは一貫していることが良くわかる。疑いようもなく好きなのだ。
 陸では入部届、海では言葉、空ではダンスと己の命。セカイを構成する全ての場所で好意を伝えた。
 その想いは最後の最後で報われた。そうみなしてもよいのではないだろうか。
 伊里野とセットで出てくる存在として「セミ」がいる。間違いなく、秋山瑞人は意識して描いている。
 セミは生まれると土の中で長くを過ごす。ようやく成虫となると、3週間から1カ月を地上で、また、空で過ごす。その後、あっけなく土へ帰ってしまう。
 そのセミを重要な出来事の時には登場させる。うるさいくらいに鳴いていたり、死んでいたり、弱弱しく鳴いていたりする。そのことで読者に、伊里野と季節の相関関係を強く意識させ、物語の終りがそう遠くないことを悟らせている。
 
○ESPの冬、幽霊の春、UFOの夏、そして『イリヤの空
 こじつけ。しかし、上のすべてを伊里野と関係づけることが可能だ。
 ESP。これは、伊里野が持っている、他の人の持っていない、今となっては伊里野以外誰も持っていない特殊な力のことといえるでしょう。
 幽霊。エリカのことでしょう。
 UFO。UFO綾波。伊里野が乗っているブラックマンタはUFOと言えるでしょう。
 以上のことから、伊里野は、ある意味水前寺に呼応する形として、園原へとやってくることになったという考え方もありそうだ。
 そして、常に付きまとうのが、時間。
 作者本人の言う「難病もの」と時間について、ネットを漁っていたら、冲方丁による言及がありました。引用してみよう。

 時間について、以下のように言っている。

ノスタルジーをかき立てる作品に共通するのは、時間への抵抗である。否応なく時間が過ぎ去り、やがてある状況が終わってしまうことに唐突に気づき、何とか押しとどめようとする。あるいは過ぎ去ってしまったものに対し、その再現や追憶を求める。
 いずれにせよ抵抗自体は必ず失敗に終わる。誰も時間を押しとどめることも巻き戻すことも出来はしない。だがその抵抗自体は無益ではない。そうしなければ得られないものもあるからだ。それが何であるかによって、その作品のノスタルジーの行方が定まる。

引用: 冲方丁イリヤの空、UFOの夏』論,ライトノベルファンパーティより

それから、「難病もの」についてはこのように言っている。

 作者の秋山瑞人さん自身、「これは難病ものの変形」と言っていたが、病状認識の手順が溜め息が出るほど正確である。
 難病の進行において、ほとんどの者が、まず病状を否認し、そのために孤立に向かう。そして自分や他人に怒りを抱きつつ、取引に向かう。「何か素晴らしいことをすれば、病状が回復するに違いない」という取引行為である。これは全力で病状から逃避する行為である。その取引が無に帰すことで抑鬱に陥る。苦しい抑鬱が消え去ると、ようやく受容――多くの場合が心身疲労による思考停止が訪れる。その受容が過ぎ去って初めて、やっと本当の希望がかいま見える。その希望が何であるかは、その人のそれまでの生き方によって違う。その希望が見える人もいれば、見えないまま逝く人もいる。
 そうした過程が、ものの見事に『UFOの夏』では少年と少女の行方に重ね合わされるのだ。もはやそのディテール力は、鈍器のように読者を滅多打ちにする。読者を限定するというより、耐えられなくなる読者が続出したのではないか。そして、この作品の本当の意味での容赦のなさは、次の一文に端的に表れている。
 《だってそんなの、見届けるだけでもすごい勇気がいるしさ、途中で何気なく目をそらして耳も塞いで、最後にはどうせその子のことなんかきれいさっぱり忘れて最初から何もなかったことにしちゃうんだろうな絶対》
 こんなことを言われながら、主人公と読者は、「見るのも耐え難いものを見せられる主人公と読者」という役割を続けるしかないのである。これは難病に陥った患者の、友人や恋人や家族の役割である。
 そして永遠に続くことを願ったものが終わりを迎えるにあたって、ひときわ強くその凶器が振るわれる。

引用: 冲方丁イリヤの空、UFOの夏』論,ライトノベルファンパーティより

 タイムリミットの設定、苦しみからの解放、そして自由。

 自由になった伊里野は、空へと帰っていく。空は現実でも自由な空間のように私たちの目には映る。遮るものもない、人もいない。全てから解き放たれたとき、伊里野は空を飛び、我々はカタルシスを得る。伊里野はそうした存在として描かれたのである。

 濃密な2か月ほどの話の中で、その大半は伊里野について語られる。そして意外なことに、伊里野に比べて、浅羽についてはあまり詳細にはわからない。

 次回はその点について触れたい。

 そして、私が言いたいことにはもうひとつ、秋山瑞人は分かっていてこれをやっている、ということがある。つまり、全てを描き切るだけでなく、ちょっとした挑戦状を叩きつけている。

 言い方かえれば、ひねくれてる。

 そのためには、伊里野にはたくさん苦しんでもらう必要があったし、想像の予知を残しながら、伊里野という人間を好きになってもらう必要があった。

そのために、萌えのツボを抑え、ミステリアスな部分を残し、ラノベ的キャラクターを上手く作り上げている。

「いたいけ」と「幼児性」とを巧みに使い、ヒロインとしての伊里野に重責を担わせ、物語を難しそうな話から簡潔なほうへと運び、最後には伊里野と浅羽二人は気持ちを通じ合わせ、読者にカタルシスを与えたその手腕に、あっぱれといいたい。

 

 次に続く。浅羽編がやって来ます。